長い冬

今はまだ地に潜む。
暗闇の中で
次の季節を待っている。
ただ待つのでなく
胎動を感じている。
やがて時が来て
地表を突き破り
光を求めて
手を伸ばすだろう。


今はまだ地に潜む。
それはあきらめなんかじゃなく
時が来るのを待っているだけなんだ。
長い冬はただ眠っているのではない。
確実に来る春を我が手につかむため
多くの祈りを捧げている。
いくつもの願いを我が身に秘めて。

詩とは何か

照れ臭くてとても言えないことを
自分から少し離れた場所にいる
もう一人の自分が語っている。

自分であり自分でない不思議な存在。
すでに言葉はそこにあり
それを引き出すだけ。

遠い過去も
いつか訪れるだろう未来も
時空を超えてひとつになっている。

言葉は削られ
どうしても語りたいことだけ
語りたい。

そして今日も詩を書く。

一年の終わりに

カレンダーをめくり続け
もう次の月の分の紙はない。
あまりのあっけ無さに
めまいがするほど。

カレンダーを何回、何十回とめくり
そして取り替えたら人生は終わり。
終わるからこそ
先が見えるからこそ
やっていられることもある。

なんだかんだで一年が終わる。
やりきったこと、
まだやれなかったこと、
人生は続く。
あきらめない。

大事なものは

写真に撮れば

その行為により消えてしまいそうなもの。

言葉にしてしまえば

そのことにより取り逃がしてしまいそうなもの。

 

本当に大事なものは

胸の内で

温め続けて

ずっと思っている。

 

写真に撮る。

詩を書く。

 

その本質にはずっと届かない。

届かないからこそ

その行為をし続けるのだろう。

 

踏み込まない表現に

価値はあるのか。

 

淡々とした日常を送りながら

ため息をつく。

新聞紙、雑誌等をくしゃくしゃに丸める。
その上に杉の葉、小枝等を置く。
紙にマッチで火をつける。
火が燃え移り、火力が強くなったところに、
竹を割ったものなど更に燃え移るものを足す。
火が勢い良くなるように空気穴を狭くして、
空気が煙突に向けて吸い込まれるようにする。
赤い炭ができるくらいで、マキをいれる。

実家の台所のカマドは小学校時代で役目を終えた。
数年前に台所の改装で、カマドの痕跡は消えた。
五右衛門風呂は現役が長かったが、十年以上前に電気風呂になった。
小学校のストーブは当番が炊きつけていたが、中学校では灯油ストーブになり、当番は給油をするだけになった。

田舎だから火を使うぎりぎりの世代だった。
都会生まれならすでに火は使っていなかっただろう。
パソコン、携帯、スマホと生活は大きく変わっていくが、原始的な火を使う体験は得難いものだった。
人間は火と言葉と道具を使う動物だという。
そのうちの火を日々生々しく体験できたのだから。

自分の命 今の命

人の美しさをうらやんでも意味はなく

人の持ち物の多さをうらやんでも意味はなく

ただ自分の命を生きよ

 

過去の過ちを悩んでも

人生の残り時間を思い悩んでも

そのことに深い意味はなく

今の命を活かすことを

まず考えよ

 

というようなことが

寒い冬の夜

風呂に入っていたら浮かんできた

 

今日は寒い一日だった

夢破れても

不可能を可能にしようとする

無謀なあなたの企ては

あまりに大きな野望。

 

そうだとしても

挑戦は生きている証し。

たとえ燃え尽きるとしても

恐れず挑む姿は美しい。

 

叶わぬ夢だってあった。

いつの間にか叶ってしまった夢もあった。

いくつかの夢を重ねて生きてゆく。

夢破れても。

 

ギアチェンジ

いつの間にか急勾配の坂道。

あるいは馬力が落ちている。

気合いを入れるより

アチェンジをすべきなのに

現状認識が歪んでいる。

いつも現状認識が問題だ。

そのままだと膝を壊す。

体が持たない。

全てを投げ出してしまう前に

アチェンジ!

こうありたいと願う理想と

現実は大いに違う。

まず現実を認めなければ

前には進めないよ。

始まりと終わり


無口な君の隣に座った。
無口なゆえに逆に多くを語っていた。
言葉に頼らず、自身を語っていたから。
無口すぎて、その声音さえ忘れてしまった。


君の瞳を見れば紛うことはない。
瞳の輝きは消えてはいないだろうか。
あまりにも多く隔たった
時間と空間。
遠い時空は歪んで見える。


瞬間でしか無かった
淡い交わり。
始まりも無く終わりも無い。
二つの線はある時交差し
また離れて行った。