呪い

収穫するキャベツの重み

振るう鍬の重み

積み重なった書籍の重み

 

手放す

 

手放すことにより

身体は軽やかさを取り戻す

 

重い荷物は心身に負荷をかけ

その重みにより

生を実感させるが

もはや地に縛り付けられることから

逃れたい

 

離れることにより

飛び立つことを願うが

また別の重力の呪いを

掛けられるのだろう

 

 

すっぱいブドウ

逃げてきたことはないかと考える。

肩の力が抜けて

こだわりもなくなってきたけど

まだ「 すっぱいブドウ」がありそうだ。

なにもかもできるわけではないが

( 時間もなく、金もなく)

何が「 すっぱいブドウ」

だったかは

はっきりさせたい。

だって悔しいじゃないか

滑稽じゃないか

他人からははっきりわかる

本人だけは気づいていない。

 

 

鉢植えの蜜柑

鉢植えにして何年経ったか正確にはわからない。

およそ八、九年だと思われる。

引っ越し前の家では、それなりに実っていたはず。

四年前の春、引っ越しに伴い、鉢を移動した。

その時の振動が悪かったか、環境が変わったのが良くなかったか、花が落ちてしまい実は一個もならなかった。

ここの庭自体は日当たりは悪くないのだが、自転車に場所を取られて脇に追いやられ、山茶花の木などの影にかかり、蜜柑の樹に日当たり、風通しが悪い。

そしてその翌年も次の年も実らず。

そして昨年も相変わらず実らずと思っていたら、秋になり周りの樹が葉を落としたときに、蜜柑が二個成っているのに気付いた。

風流に成ったままを鑑賞していたら、先週末に胴体が黄色い小鳥二匹が訪れ、蜜柑を食べていた。

実は転居前の家でも、成った蜜柑を小鳥に食べられていたので、こうなる運命を受け入れていたのかもしれない。

今年こそは日当たり、風通し、肥料に注意をして、是非とも収穫を目指したい。

 

 

冬そして春

寒さに凛として

立ち向かえるのなら

冬もまた良し。

 

吹き付ける風に

負けない希望があると

胸を張って歩けるのなら。

 

まだ春は遠い。

葉を落とした木々は

ひそかに蕾を抱いている。

 

少しづつ見える春の兆し。

あなたに春は

見えているでしょうか。

天井

天井を眺めて

ぼんやりする

なんていう

ぜいたくな時間を

持てなくなった

何かしていないと

いけないんじゃないか

という強迫観念

追い立てられていた方が

無用な悩みを

忘れていられる

という悲しい思い込み

 

あーあ天井には

数々の思い出

同じ天井では

ないけれど