どこへ行く

言葉が軽い

重すぎたら困るだろう

誰も言葉を発しなくなる

言葉を軽くすることばかりに

力を注いできた時代

無意味な言葉を並べ立て

すべてのことを相対化し

笑い飛ばす

しかし言葉にすがっていくことで

誰でも生きている

本能だけでは生きていけない

あなたと私の言葉は同期しているのだろうか

あなたと私の利害は一致しているのだろうか

あなたと私はすれ違いのままなのだろうか

不眠

眠れない夜がある

気がかりなことが

繰り返し繰り返し脳裏に浮かぶ

泥舟が沈んでいく

坂道を転がり落ちていく

危ういバランスが崩れていく

老いの加速が重苦しい

不安ばかりが頭をもたげる

決して時計は見ない

どうなるものでもないから

ついには新聞配達の音を聴く

こういう日もあるさ

やっと一眠りだけできて

アラーム音を聴く朝

 

実りの秋

やがて来る秋

実りをもたらす秋

種を蒔き

心を込めて育てたか

蒔かない種は育たない

いつまでたっても収穫はない

 

種を蒔き

心を込めて育てたならば

収穫の時期を待て

 

種を蒔いたことを忘れていないか

心を込めて育てたことを忘れていないか

後は愚直にただ待て

その時を

 

ライブに通うこと

仕事帰りのライブは頭がぼんやり、要領よくライブのことを考慮して仕事をすればよいのにその余力がない。ライブを見るということは受け身なんだから気楽といえば気楽。

なのに演者の覚悟を目の当たりにして、心底圧倒される。スタンディング席もなかなかつらい。開場から終演まで長い時で三時間以上。足は棒のようになる。またステージとファン席の掛け合いの時でも声を返すこともできていない。ただ木偶の坊のように突っ立っているだけ。感動はしているんだけどな、感情を表すのは苦手だ。

どこだって音楽は聴ける。でも実際足を運んで体験する生のライブは情報量が違う。そうは言っても場所、時間、経済、気力が合わなければ通うことはできず、ライブに行けることは幸運なことだ。そしてまた生きていることを実感させてくれるステージの上の方々にも感謝したい。

明日もライブ。楽しみ。しかも休日だし。

 

 

秋の一日

絵に描いたような雲を見ていると

この世では無いような思いにかられ

ずっと見ていたくなるが

ずっと見ているには

時間と場所と静かな心が必要

通勤途上ではそうもいかず

それが叶うのはいつのことだろう

 

毎年咲く曼珠沙華

この日曜日には少し咲いていた

今日もまた別の場所で咲いている

秋が来る

今年もまた

 

日暮れが早くなり

来る冬を早々と思う

まだ残暑で寝苦しいというのに

もう九月

たった少しの違いなのに

月をまたぐともう秋

夏のほとぼりを醒ますように

雨が降る

今日も降る

確実なものは何もない

言葉の確かさを求め

言葉の海をさすらうが

聞こえてくるのは秋の虫

生きている

今日も生きている

 

今日まで

格好つけたくないが
卑下もしたくない
若ぶりたくないが
老け込みたくもない
あるがままでいたいなんて
傲慢なことは言えない
結局何がしたかったんだっけ
何かある
何もない
その狭間で揺れ動き
生きてきた