新聞紙、雑誌等をくしゃくしゃに丸める。
その上に杉の葉、小枝等を置く。
紙にマッチで火をつける。
火が燃え移り、火力が強くなったところに、
竹を割ったものなど更に燃え移るものを足す。
火が勢い良くなるように空気穴を狭くして、
空気が煙突に向けて吸い込まれるようにする。
赤い炭ができるくらいで、マキをいれる。

実家の台所のカマドは小学校時代で役目を終えた。
数年前に台所の改装で、カマドの痕跡は消えた。
五右衛門風呂は現役が長かったが、十年以上前に電気風呂になった。
小学校のストーブは当番が炊きつけていたが、中学校では灯油ストーブになり、当番は給油をするだけになった。

田舎だから火を使うぎりぎりの世代だった。
都会生まれならすでに火は使っていなかっただろう。
パソコン、携帯、スマホと生活は大きく変わっていくが、原始的な火を使う体験は得難いものだった。
人間は火と言葉と道具を使う動物だという。
そのうちの火を日々生々しく体験できたのだから。