言語化

若い頃に当たり前にあった感性が失われ、書いた文章が失われたのが残念。そもそもそれをどれだけ意識して言語化していたか?それとは失われない内に自分で語りうる自分自身の言葉で言語化すること。大学生時代の日記のみは手元に残っている。それ以前の記憶は頭の中にしかなく、例えばほとんど衰えた嗅覚について今になって言語化しようと思うとすでに曖昧になっている。
2008年からブログを始め文章を残すようになった。感性というより、記録としての文章。まだ言語化できていない領域は多い。誰かが書くだろうと思いきや、意外と言及されないことは多い。いや、世の表面に出てこないだけか。
若い頃の文章は未熟だから取るに足りないなんてことは無く、もう取り返せない感性の宝物なのだから書き残して、未来の自分自身に贈り届けて欲しい。実際は現実を乗り越えるために多くを捨てがちになるのだけれど。
これは若い人へのメッセージ。