ある思い

自分の言葉が

実は誰かの言葉の引き写しで

まるでオリジナルはない

という悪夢を見るというか感じる

確かに言葉は昔から使われて

故人や世間から習ったものばかり

自分が発する言葉、

実感から発する言葉も

社会から離れて存在しない

だから借り物の言葉という感覚は

ある意味、間違ってはいないのだけれど

表現する文が知らないうちに

まったく記憶の中にある文を

そのまま引用しているのではないかという畏れ

 

感性は人それぞれ、思考も重ならない

よって表現も個性を帯びて、自ずと人それぞれ

人の数だけ文章がある

それはさんざん思ってきたことだけど

文章を書くときに

自分の考えを書くというより

なぜか誰かに書かされるように

不思議にすっと文章が流れてくる時がある

それを素直に受け取っているのだけれど

それのどこまでが自分でどこまでが△△なのだろう

この△△に当たる言葉が知りたい

 

 

 

ある痛み

痛みの元は無くなった

誰にも知られること無く

自分だけが知っている

長い間煩わされていた

しばしの開放感はあるのだが

必要あっての痛みの元

ぽっかり空いた穴は

再び埋まることはない

この欠落はまた自分だけが

引き受けなければならぬのだ

どこへ

ぬるいままの
鋭くもなく
あいまいで
事無かれ主義
誤魔化し続けて
いったいどこに
たどり着こうというのか
再び立ち上がったものの
どこまて闘える?
運命というものがあるのなら
乗り越えるのか
あらがうのか
従うのか
とにかくも
前を見据えている

今日という日

風が強い。気温が上がる。

祝日の今日、外出をせず。

ただ疲れを取るだけの日となった。

 

ラーメン作って食べた。

帰省の切符を買った。

ライブの配信を見た。

静かに過ごした今日。

静かさは嫌いじゃない。

そしてこの日は確実に存在していた。