三十年

三十年余りが過ぎた

一世代前

まだ産まれていなかった子が

今や一人前の顔をした

大人になっている

時は過ぎ

三十年前の常識は

現代の非常識

うっかりしていると

大きな勘違いをする

世の中は大きく変わる

渦中の我々は

ただ翻弄されている

歴史の教科書で学ぶようには学べない

だってこれから書かれる歴史だ

愚かにも歴史は繰り返す

これが歴史から学んだ教訓だ

 

 

 

季節はいま

日の当たる窓際で
寝転んでゆったり
長い冬を乗り越えたごほうび
湿気の多い梅雨
暑苦しい夏が来るまでの
快適なひととき
木々は緑の葉を再びまとい
花々が咲き誇る
植物のようにじっと動かなくても
季節の喜びを感じている
君に会いたい

めまい

忌々しいめまいも

長い付き合い

羽ばたこうとするたびに

限界を見ろと

現実を突きつける

果たして単なる敵対者であったのか

思わぬ足元を掬われないように

無謀さにアラームを鳴らし

死地から救ってくれた

強力な味方であったのかもしれないのだ

 

 

夜に

力を尽くした果ての
まるで徒労だったと思い知らされた夜は
さすがにそれ以上立ち向かう気力は無く
地に這う心地
夢だとか希望だとか
まだ将来を信じられるか
運命を信じられるか
生きてだらしなく
今日の所はその先の
明日を思うだけでも上等だ
そうやって何度も何度でも
立ち上がってきた

ある思い

自分の言葉が

実は誰かの言葉の引き写しで

まるでオリジナルはない

という悪夢を見るというか感じる

確かに言葉は昔から使われて

故人や世間から習ったものばかり

自分が発する言葉、

実感から発する言葉も

社会から離れて存在しない

だから借り物の言葉という感覚は

ある意味、間違ってはいないのだけれど

表現する文が知らないうちに

まったく記憶の中にある文を

そのまま引用しているのではないかという畏れ

 

感性は人それぞれ、思考も重ならない

よって表現も個性を帯びて、自ずと人それぞれ

人の数だけ文章がある

それはさんざん思ってきたことだけど

文章を書くときに

自分の考えを書くというより

なぜか誰かに書かされるように

不思議にすっと文章が流れてくる時がある

それを素直に受け取っているのだけれど

それのどこまでが自分でどこまでが△△なのだろう

この△△に当たる言葉が知りたい