言語化

若い頃に当たり前にあった感性が失われ、書いた文章が失われたのが残念。そもそもそれをどれだけ意識して言語化していたか?それとは失われない内に自分で語りうる自分自身の言葉で言語化すること。大学生時代の日記のみは手元に残っている。それ以前の記憶は頭の中にしかなく、例えばほとんど衰えた嗅覚について今になって言語化しようと思うとすでに曖昧になっている。
2008年からブログを始め文章を残すようになった。感性というより、記録としての文章。まだ言語化できていない領域は多い。誰かが書くだろうと思いきや、意外と言及されないことは多い。いや、世の表面に出てこないだけか。
若い頃の文章は未熟だから取るに足りないなんてことは無く、もう取り返せない感性の宝物なのだから書き残して、未来の自分自身に贈り届けて欲しい。実際は現実を乗り越えるために多くを捨てがちになるのだけれど。
これは若い人へのメッセージ。

待つ

やるだけのことをやったら

後は待つだけ

そうは思っても

まだ本当にやりたいことに

手をつけていないのではとか

まだやり足りないのでは

落ち着かないまま

時間だけは過ぎる

やり尽くさなくても

時間が過ぎれば

とりあえずOK

それが救いであり

絶望でもある

いつだって見えているのに

他のことに気を取られて

見えなかったことにされてしまう

ふと何かでそれがあらわになる

だが誰にだって見えているわけでもなく

世代を超えて誰かがやっと気づくこともある

世の風潮が何だとか仕方がなかったんだとか

馬鹿言ってないで

信じる道を歩め

猛暑日

朝から暑く深夜になっても涼しくならない。
一ヶ月休みにして冷涼な土地で暮らしたいが現実はふらふらになりながら遠距離通勤をしている。あと二週間耐えれば秋の気配を感じ取れると信じて、なんとかやり過ごす。